『『岡山バット殴打事件』とジャーナリズムの存在意義』
『岡山バット殴打事件』が発生したのは、2000年6月21日午後。それからもう10日以上経つわけだが、殺人未遂容疑などで指名手配中の少年は今だに身柄が確保されていない。
少年の行方が今なおつかめない大きな原因として、少年の姿、もっといえば「顔」が公開されていないことが挙げられる。顔写真が公開されれば、すぐにでも見つかる可能性があるのに、今なお公開されずにいるのは、少年法に保護規定があるためだ。
少年法の61条には、『少年もしくは少年の時に犯した犯罪で起訴された場合には、本人であると分かるような記事や写真を掲載してはならない』と記されている。事件を起こした少年の将来性に配慮した条文であるという。つまりは、「プライバシーの権利」ということらしい。
とはいえ、このプライバシーの権利が絶対的に保護されるものではないという司法判断が、2000年2月29日『堺通り魔事件・大阪高裁判決』で示されている。
この裁判は、新潮社が月刊誌「新潮45」の中で、堺通り魔事件の少年の実名と顔写真を掲載して事件を報道したことに対し、少年側が「プライバシーを侵害された」として新潮社に損害賠償などを求めて提訴していたもので、一審の大阪地裁では少年側の主張が認められ勝訴していた。
しかし、今回の大阪高裁では以下の逆転判決となった。
- 『悪質重大な事件で、どんな人物がこの犯罪を犯したのかは社会の正当な関心事であるし、内容は真実であると認められるから違法性はない』
- 『少年法61条は、健全育成という公益目的と更生などの刑事政策的配慮に根ざす規定で、罪を犯した少年に実名で報道されない権利を付与しているわけではない』
- 『仮にそう解する余地があっても、違反者に対する罰則がないことを考えると、少年法61条の規定が表現の自由よりも優先すると解することはできない』
つまり、場合によっては少年法61条よりも、憲法21条の「表現の自由」を優先させることが認められるわけである。
そこで今回の事件である。
凶悪犯罪を起こした人間が今なお逃走を続けているということは、「いつ次の事件が起きるわからない」という大きな不安を社会全体が抱え続けていることを意味する。その不安が現実化する可能性は決して低くない。当然、少年の身柄確保は、『社会の正当な関心事』である。
こう考えると、今なお少年の顔写真を公開していないのは、異常なことなのかもしれない。警察当局はもちろんだが、新聞各社に代表されるいわゆる「ジャーナリズム」は、こういう時にこそ信念を以て公開に踏み切るべきではないだろうか?
▼参考:
- 『少年実名報道に逆転判決〜堺通り魔事件・大阪高裁〜』:
- http://mbs.co.jp/mbs-news/now/2000feb/0229_1.htm
- 『大阪高裁、未成年犯罪の実名報道に初判断、少年法より憲法の「表現の自由」を優先。』:
- http://www.local.co.jp/news-drift/social-spot2.html
●『違反者に対する罰則』って、なかったんですね、実は(^^;)<少年犯罪の実名報道
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